かわいい工房の、ひろです。
蓋はずし企画も最終章となりました!
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ご覧頂けます。
夜遅くまで私の話に
付き合ってくれた主人の語りかけで
祖父の背景にある事情を
調べてみようと思いました。
第二次世界大戦のビルマで検索し
目に飛び込んできたのは
ビルマの戦い、インパール作戦、白骨街道・・・。
インパール作戦は
「太平洋戦争で最も悲惨な戦い」
で、日本人の9割が命を落とす。
読んでいるだけで
胸が詰まって苦しくなってきます。
もう寝ようと思い、横になっても
目が冴えて眠れません。
もし、主人の言葉どおり
祖父が終戦をビルマで迎えていたら
書いてある通り、壮絶な戦火の中を
生き抜いて帰国したことに。
普通に生活できていたら
見ることもなかったであろう
人間の悲惨な最期や見たくもない地獄。
自分の人生を犠牲にして戦争に向かい
日本国のため、家族のため戦い抜いて
きた祖父。
そんなことを考えていたら
涙が止まりませんでした。
お酒を飲んで荒れていた祖父だけを
見ていた私。
普通だった祖父がなぜ
そうなってしまったのか
そこまで掘り下げることは今の今まで
したことがなかったけれど
今回初めてその部分に触れ…
本当は祖父が一番の被害者だったのでは?
時代、戦争に翻弄され人生が狂い
そして家族もそれに巻き込まれて
しまった。
私、勘違いしてたわ。
ごめん、おじいちゃん。
一番辛かったのはおじいちゃん。
私は許す、許さないの次元で
考えていたけどそうじゃなくて、
おじいちゃんに感謝の気持ちで
自分の過去にけりをつけたい。
おじいちゃん、ありがとう。
おじいちゃんの笑った横顔がふと
頭に浮かびました。
で…ほぼ一睡もできぬまま
目の下に薄っすらクマまで
できちゃってまあまあ悲惨な
顔面の私。
母に祖父のことを
確かめるためのラインを入れました。
何の前触れもなくいきなり
『ねぇ、亡くなったおじいちゃん
ってさビルマで終戦迎えたのかな?』
と(笑)突拍子も無いこと聞いてくる
娘をどう思ったかは分かりませんが、
祖父が、ビルマ戦線で終戦を迎え
帰国したこと。
所属部隊では、5人ぐらいしか
帰国できなかったこと。
教えてくれました。
やはり、やはりそうなんだ(泣)
続けて母に
『終戦間際のビルマってもうほんと
壮絶な作戦で生き残り兵なんて
ほぼいなかったみたいだね…
だからさ…そんな修羅場という
修羅場、見たくもない人間の
色んなことを見続けた
おじいちゃんって、
そりゃ酒に溺れて酒乱になっても
仕方なかったのかなぁと昨日一晩
考えてたら寝れなかった』
と思い切って伝えました。
すぐさま母から、
祖父が帰国後よくうなされていたこと。
マラリアを帰国してから発症したこと。
軍隊での生活が長かった経験から
自分も発症したら…と想定して
ビルマからマラリアの薬を缶に入れて
肌身離さず持ち帰ってきてて、その
薬を服用していたこと。
私はもうたまらなくなって
思い切って母に伝えました。
私、当時ってただただ家が荒れることが怖くて、それが全てでおじいちゃんのそういう後ろにある事情なんて知るよしもなかったけど…
この年になって気付くこともあるんだなぁと思ってさ…
あの時の私には今みたいな理解力なんてもちろん持ち合わせてないから無理だけど
昨日の夜にNHK観てたらおじいちゃんのような自分を犠牲にしてくれた人達が(日本人以外の外国人兵士も含めてね)いるから、この今の平和な日本があるのかと思ったら
私のダークな幼少期を返して欲しいと恨んだこともあったけど(だいぶ前ね)
いや、そうじゃなかったなと。
本当はありがとうと言わなきゃいけなかったのかなって。
もちろんあの壮絶な家の中でのことは事実として記憶に残るし、お父さんやお母さんの相当な苦労も事実だし、そこを美化しようとは思わないけど
でもみんながそれぞれ苦しんでたってことなんだなと思ってさ…
ここまで打って更なる文章作って
いたら母から電話が
かかってきました。
私すぐに電話取れませんでした(笑)
なぜかと言うと、
両親の苦労は一筋縄ではいかない
レベルだったので
その苦労を私なんぞがこんな言葉で
言い表すことに対して
2人は怒るかもしれないと思ったんです。
綺麗事言わないでよ!って。
まぁでもその時はその時で、もっと
分かってもらえるように説明しようと
決め電話を取りました。
母は電話口で泣いていました。
母の隣にいる父も泣いていました。
ありがとう。
巻き込んで一番苦労をかけた
あなたからこんな言葉を貰えるなんて。
あなたには申し訳ないという
気持ちしかなく、もし、あなたが
まともな人生を歩めなかったら
私達のせいだとずっと思っていた。
でもこうしておじいちゃんのことを
理解してくれて、言葉をかけてくれた。
おじいちゃんのことを察してくれる
素敵な旦那さんとも出会ってくれた。
そしてあなたが本当にいい子に育って
くれた。
本当にごめんね、本当に悪かったね。
おじいちゃん、浮かばれていると
思う。嬉しいと思うよ。
私こそ、気付くのにすごい時間が
かかってしまって…
あの頃は全員が目の前のことに必死で
他の捉え方ができなかった。
今となってはもう遅いけど、今なら
ちゃんとおじいちゃんと向き合えたのに。
母とは30分程話して電話を切りました。
私以上に苦しんでいたのは両親で、
私に対しての罪悪感が半端なかったです。
両親の中ではもうあの当時のことは
全て完結していて、
祖父母の良いところを見て思い出して
感謝して日々手を合わせているそうです。
『おじいちゃんに感謝』
これは私に対して強要するものでも
ないので両親から私に話すことは
しなかったそうです。
でもそんな娘が言葉をかけてきて
くれて、その思いが自分達と一緒だと
知り泣けて泣けて…だったと。
思いに気付くのが遅かったかな…
でも今のタイミングがベストだったと
私は思っています。
次に帰省した時は
お墓参りはもちろん、両親と色んな
思い出話をするのが楽しみです。
長かったレポを最後まで読んで頂き
ありがとうございました。
清々しいです!
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